愛知県弁護士会の刑事処遇委員会の主導で、19日、研修があり、立命館大学法学部から刑事訴訟法、少年法等の先生がいらした。
この記事では、研修それ自体についての報告は、行わないので報告は弁護士会の会報等で確認して欲しいということである。これは個人の感想を述べるものにすぎないものであることを断っておきたい。
もちろん、主には、犯罪者の社会復帰がテーマであったが、障碍のある人への支援もテーマであった。
障碍者というと、我々には無縁のように思う人もいる。しかし、ディザビリティーという形成途上、つまり外縁がはっきりしない「障碍」もあるということだ。障碍は個人の病気というよりも、社会モデル、つまり、個人のプロブレムと社会の在り方とのハレーションから個人の不利益が生じる。
とかく私たちは、「社会的弱者」という定義を振りかざすが、「傷付きやすい状態の人」(vulnerable)というのは流動的に存在している。社会的弱者は固定的だが、傷つきやすい状態かどうかは、時、場所、場合、年齢などによっても変わってくる。一例を挙げると、妊娠、病気、加齢、未熟さなどということが考えられる。特徴的なのは、一時的に、厄年など、精神年齢と体力年齢のズレや出産後の精神的安定などが考えることができる。これらは、永遠に続くものとまではいえない。しかし、その時点においては、支援が必要なのだ。
もちろん社会的弱者の救済の使命も弁護士の職責なのだが、離婚・親権問題・面会交流など、「誰しも傷つきやすい」一時的な状態になり、支援が必要となる場合があるというように理論的に思えた。繰り返しになるが、私は、昨日の研修会の趣旨とは異なるかもしれないが、「傷つきやすい人」という一時的重大かつ困難者という方々に光をあてても良いように思った。パラダイムを変えれば、「傷つきやすい人」からみれば、一時的にせよ、「困難」かつ「重大」な、障碍がそこにあるのだ。例えば、離婚、面会交流、人身保護請求、ハーグ条約や相続、遺産分割についてもその一例である。これらが訴訟や調停になって現れることも、こうした状況に陥っていることの顕在化であることが多い。
社会的弱者となると、その要求は社会権的なものになりがちだが、「傷つきやすい状態の人」の場合、能動的な主張ができないおそれもある。そこで本人の行動が制約されないように自由を保障するという点で弁護士を要するという点は、離婚や成年後見も同じように理論的に理解できる。
そして、一貫したスルーケアに弁護士がどう関与していくか、と同時に、他専門職との連携の構築の重要性が、家族法の世界でも必要と思われる。弁護士、福祉職、心理職、会社経営者などが考えられると思われる。今後ともその一助となるべく心を尽くしたい。また、障碍者は生涯者なのであって、固定的かつ普遍的なもので、本人に起因するものばかりが「障碍」とみないこと、社会に問題があるものも存することを受け止めないといけないと思う。