万引き家族とDV児童福祉―「万引き家族」をみて、Shoplifting Families

万引き家族をみて―Shoplifting Families

是枝裕和監督の映画は、時に日本の社会に鋭い批判を浴びる。我が国には、児童福祉の一時保護とDV家庭からのこどもの保護に極めて無策であることがあぶりだされる。安倍首相には想像のつかない底辺の家庭では、「万引き家族」の方が、こどもにとって「虐待家族」や「DV家族」よりマシなのである。

フランス紙フィガロは、カンヌ国際映画祭の最高賞『パルムドール』を受賞しても、安倍首相は「だんまり」を決め込んでいる。その理由は「日本政府にとって、児童虐待などの真実は蓋をしておきたい、きまりの悪いことだからだ」と鋭く批判し、「アベは、コレエダを無視し、フィギュアのハニュウに賞をあげて喜んでいる」と指摘している。

城桧吏が演じた「祥太」と樹木希林が演じた「柴田初枝」という「おばあちゃん」を中心に、もう一つの家族であるDV家庭から逃げてきた佐々木みゆ演じる「ゆり」の2つの話しを基軸に、治、信代、風俗店で働く信代の妹の亜紀、ゆりが繰り広げる群像劇といえようか。

前編は物語の提示、後編は告白編として真実の提示が行われる。

万引き家族というと、ネガティブなイメージがつきまとう。しかしまともな収入8割、万引きやイリガルなもの2割というイメージだ。そういう意味では、もっと「機能不全家族」は存在している。家族でない人たちが集まって家族として機能するとはシニカルである。もっとも、実際は、世渡り上手の「おばあちゃん」初枝を中心に、初枝は年金と生活保護の不正受給(おそらく)、そして、かつて自分の夫を寝取られた家をオブラートにゆすり続ける。

 

万引き家族の祥太は治の本当のこどもではない。かといって信代のこどもでもない。祥太は「おとうさん」とは呼ばない。

 

物語は、DV家庭でベランダに出されていた少女であるゆりを引き取り、様々な「愛」又は「つながり」が提示される。

 

「祥太」にフォーカスをあてると、治と一緒に万引きをして家計を助けるというロールがある。そのロールにゆりが入ってくることに、父子関係に異分子が入ることに対する不満を述べる。しかし治は、ゆりは、祥太の妹だと諭す。樹木希林が、「血がつながりがない分、あと腐れがないのよ」というセリフが万引き家族の「家族の絆」の本質を提示しているように思われる。

 

しかし、彼らは決して不幸というわけではない。笑いが絶えない家庭であって、そうでなければ、血のつながらない祥太、亜紀、ゆりがいつくということもないだろう。かように、5人は社会の底辺で暮らしつつも、樹木希林は、持ち前のキャラクターから、全く悲壮感を感じさせない。隅田川での花火や海に行くシーンは彼らが彼らなりに幸せであったことを示している。

 

しかし、兄妹愛に目覚めた祥太の心の悲鳴が聞こえてくるようになる。万引きをしようとした駄菓子屋の店主から「兄なら妹にそんなことをさせるものではない」と諭される。祥太は、次第に「万引き家族」にも疑問を抱き始める。万引きは、「店舗に陳列しているものは会計を済ませるものまでは誰のものでもない」という特殊な論理で納得することを余儀なくされていた。しかし、車上荒らしをするようになった治には嫌悪感を抱いているように見えた。

 

そうしたところ、スーパーでの万引きがやってきた。ロールだから仕方がない。しかし、祥太は、ゆりには、万引きに関与させたくないと考えて、リスクが高い自分一人で万引きをする。しかし、また、兄妹愛に目覚めたゆりもまた、兄を助けるロールを演じるため、万引きをして店員に見つかりそうになる。

 

祥太は、大量の商品を押し倒して、わざと目立つようにして逃げる。そして店員に追い詰められ、やむを得ず川に飛び込み大怪我を負うことになる。

 

ここから、それぞれの実態の告白編がスタートする。家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれの秘密と願いが次々と明らかになっていくのだが。

 

司法面接をする「良いおじさん、おばさん」たちも子ども目線でみると胡散臭くみえるものだ。最後は、それぞれの旅たちがある。特に祥太の旅立ちと治との絆にも終焉を迎える。だが、治にとって祥太はいつまでも大切な人であり続けるだろうし、祥太にとっても、「お父さんからおじさんに戻ろう」といわれても、心理的な結びつきが続くことになる。

 

そして、是枝作品の絶望で終わるのは、DV家庭に戻され、今夜、宇宙の片隅で泣いている少女の存在だ。児童相談所が関与したところで、このていたらくというのが我が国の児童福祉の問題点を的確に提示している。また、中止犯のように我が国にはいったん犯罪を起こすと不可逆的だ。そうでなければ信代がすべての刑事責任を引き受ける必要まではないだろう。山口厚が最高裁判事になってからなんでもかんでも処罰する危険思想に拍車がかかっている。安倍首相が作品を見て押し黙るのも無理もないところというところだろうか。

 

それが、彼からの日本社会へのメッセージとそのメッセージが適格であると世界から支持される所以である。

 

それだけに、樹木希林のシニカルなセリフが支持を受ける。

 

「年金なんて国からもらう慰謝料よ」

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