離婚後のこどもの親権・監護については、親権と監護権の分属に加えて、面会交流の充実に関心が集まっています。 離婚率、離婚件数が増えており、離婚への悪印象は薄れつつあります。そこで面会交流が行われるということも、今日では普通のこととなりました。 親権は、こどもを守り、こどものニーズを充実して満たすことができる親の責任というべきです。ですから、こどものある家庭では、子の福祉、子の最善の利益といわれるように、チルドレンファースト、こどもが守られ育つニーズ、親のニーズに優先するものとされている。 もっとも、面会交流というのは、子のニーズでもあり親のニーズでもあり、チルドレンファーストからすれば、父親との面会が子の福祉を増進するばかりではありません。裁判所のドグマは、こどもはルーツを知る権利があり、その親と交流を持つことで精神が安定する、というものです。 しかし、幸せな結婚ばかりではないともいえます。したがいまして、父親との面会がこどもによい面会交流にするべき努力が必要となります。 さて、裁判所によれば面会交流はこどもの精神の安定につながるのだそうです。しかし、父母の離婚体験は複雑で、単に父親との愛離や離別に限られないように思います。 子連れ別居の弊害ともいえる学校・友人との離別による喪失や母子家庭の貧困や孤立など、多種多様なニーズがあるわけで、父親との面会だけが特別有意なニーズではないのです。 一例を上げれば、両親の単身赴任があっても、高校は地元で卒業したい、といって、ひとり暮らしを始める高校生に似ているかもしれません。そこにはいろいろな想いがあるのです。 しかし、別居及び離婚訴訟の際に、両親の葛藤が高まりますが、だからこそこどもは行き来するべき、との考え方もありますし、父母の葛藤だけで面会交流は決められません。 また、最近のこどもは親の紛争について、両方悪いと述べたりオピニオンを持っており、発言したい意向を持っているこどももいますので主体性を認め、赤ちゃん扱いしない必要性もあります。 離婚後のこどもの不適応については、父親との離別も含む離婚そのものの影響だけに限られないというのです。例えば、こどもが継続的に父母のケンカをみている経験に悪影響が潜んでいます。そして、家庭内に漂う情動的な環境は、こどもの審理発達の過程に強く影響する、としている。 心理学的には、両親の別居離婚によるこどもの困難を軽減するためには、父母の争いをみせないことが大事です。もっとも、父親と面会をさせると、フラッシュバックが起こるというのは、病理的にすぎるでしょう。 こどもは、守られて育ちます。適切な環境のもと、物質的経済的なニーズと精神的心理的ニーズが充足されなければならない。こどもは発達のために母性に依存することになりますが、こどもは、自分を保護し献身的に養育してくれる者を選択して、その者との間に心理的・生理的・身体的アタッチメントを形成します。そしてそれをよりどころにして、情緒的・知的・社会的に発達を遂げていきます。したがって、安定的なアタッチメントが維持されることで、こどもの発達が進みます。面会交流も、こうした発達に寄与するものである必要があります。 面会交流は、人と人との関係に基づく接触であり、それによってこどもがプラスの経験をすることを目指す関わりともいえますが、現実にはプラマイゼロでも認められて良いのではないか、と思います。共同監護が難しいのは、こどもの発達に合わせた条件整備が難しいからといわれています。したがって、人間関係ならば、関係がスムースにならなければ交流がいかないのは当然ですし、人間関係は常に変化するから、かねて適当であった面会交流も実情に合わなくなります。しかし、もともと適当な面会交流がなぜ阻害要因を抱えるようになったか分析が必要なように思われます。